ANMELDEN
イレヱヌは金髪を靡かせながら馬に乗って
ブロードウェイ・シアターで今日も母は豊かな金髪を耀かせながら舞台に立っている。「オクラホマ!」のヒロインローリーを演じている姿をイレヱヌは
イレヱヌは案の定新しい住まいを全く気に入る事が出来なかった。家は立地からして嫌いだった。窗からはセントラルパークもエンパイア・ステエト・ビルも見えない。建物は真っ白なモダニズム建築で、装飾の無い直線的で箱のような外観だ。庭があるものの、芝生は徹底的に刈り込まれ生垣はまるで定規を当てながら剪定をされたかのようだ。
イレヱヌは庭があると聞いたときにモネの絵画のような色彩と耀に溢れる情景を想像したが、実際には墓地を想像させる寒々としたものだった。裏庭にプールとカバナが在ることをジャンヌは大変気に入ったようだが、イレヱヌはプールなどどうでも良かった。一切の無駄を削ぎ落として合理性のみで出来た家が自分の居場所とは思えなかった。 内装も全く持って気に入らない。エドワアドの趣味でおまけに使用人達が皆英語しか話さない。イレヱヌは亜米利加に居るというのに英語が嫌いだった。シュウ・アラ・クレェムが何故か英語ではクリームパフなどどいう味も素っ気も無い不快な単語にされてしまうのかイレヱヌには解らなかった。元々は仏蘭西《フランス》で産まれたものだというのに。|パルフェがどうやら此方ではサンデー為るものと同一視されているらしいというのも嫌だった。イレヱヌからすれば全く違う。パルフェはもっと華やかで味わいも複雑だ。
何もかもが気に入らない新居のため、イレヱヌはジャンヌの部屋に籠ることが多くなった。自分の住む場所の筈が何処にも居場所など見付けられ無かったからだ。ジャンヌの部屋はエミィル・ガレの家具が置かれている。壁にはロォトレックの
稀に両親が揃って自宅に朝からいる時はパーティーが開催される日だ。イレヱヌはこのパーティーが大嫌いだった。何故か理由はイレヱヌにもはっきりとは
イレヱヌは結局、恋愛も夢も、自分に出来ることさえも曖昧なまま歳を重ねていった。勉強だけは頑張り、先生に褒められる事も多くなる。手紙や電話でジャンヌ、エドワアドにも褒められた。其れは勿論嬉しい事なのだが其れだけだ。自分は勉強が出来るようになれば満足出来るわけではない。 いい加減先の見えない未來や終わりの無い勉強にも疲れはててデエトに誘われるまま気紛れに何度か行った。しかしやはり想像通りというべきか詰まらない、アンニュイな気分にさせるものだった。例え流行りの映画を観ても、ディナーをしても(此れなら独りで勉強をして過ごす方が良い)毎回結論はここに行き着く。そして相手に予習、復習を理由にデエトを早めに切り上げたいとやんわりと伝えると「イレヱヌは真面目だね」と笑われる。何故かその言葉は堪らなくイレヱヌの神経を障った。 イレヱヌをデエトに誘う相手は自分を実際より大きく見せようと見え透いた張りぼての虚勢を張りたがる脆弱なプライドの持ち主ばかりだった。大した実力も実績も無い人間には有りがちな事だ。しかしイレヱヌからすれば継ぎ接ぎだらけの虚栄の人間との会話は自慢話ばかりで空っぽな退屈極まりないものだった。 此れならセシルと小説や映画の事などで会話に花を咲かせる時間の方がよっぽど楽しい。そして相手は自分の事を好きな訳ではない。単にイレヱヌの姿だけ見て自分にとって都合の良い偶像を相手に妄想をしていただけに過ぎない。少しでも気持ちを楽しいものにしたいと“昼下がりの情事”のオードリィ・ヘップバアンを真似てジバンシィのバックに二つリボンの付いた白のノースリイブドレスに白のショートグロオブを着けたのだが、結局「何でこの人とのデエトだけのためにこんな格好したんだろう」と堪らなく後悔した。 (セシルに会いたい)その思いで頭が一杯になる。二人でお洒落をしてカフェに行き“キャンディ”や“醜い亜米利加人”について話したくて堪らなくなった。其の日のノオトにはデエトの服装、映画の内容を書いた。次いでに「あと一時間で世界が滅ぶとしたらもう一度同じ様に過ごす。永遠みたいに感じるから」と書くことも忘れなかった。女子寮の談話室で瑞西人のアンヌ・ベッソンと英吉利人のジュリエット・サンダースにその話をしたところ二人に大笑いされてしまった。 自分は特に夢というものを持つことも無く、シリルが言ったように特に好き
其の一件はどうやら目撃者が何人かいたらしい。同級生のアンヌ・ベッソン、ジュリエット・サンダースの様にセシルの味方をするものもいればヘンリイ、エドガアの様にシリルに同情するものもいたが、セシルは相変わらずの様子で朝は遅いため余りビュッフェでは見掛けない。同じ授業を受ける時にも居る時と居ない時があった。恐らく部屋で飲酒、喫煙をしているかボオイフレンド又はガアルフレンドと遊んでいるかだろう、とイレヱヌは推察した。イレヱヌは此の学校に来てから何度かデェトの誘いをされたことは有るものの、一度も受けた事は無い。全く知らない、興味も持てない相手と遊びに出掛けることなど楽しくない事くらい想像がついた。「ええっイレヱヌはまだボオイフレンドが出来たことないんだ?」ミルクシェイクを飲みながらセシルは目を丸くした。敷地内に併設された映画館で“昼下りの情事”を観た後にカフェで映画の感想やオウドリィ・ヘップバアンの美しさについて語った後に、恋愛観にも話が及んだ時そう答えたら驚かれた。「変?」とイレヱヌがクレエプシュゼットを小刀で切りながら首を傾げる。皿からはカラメルソオスと甜橙の薫りが立ち上る。「変では無いけど……でもデエトしたり恋愛するのって楽しいよ?ちょっと勿体無い気がする」とセシルは答えた。「イレヱヌは物凄く美人だし、勿体無いなとは思う。サン=ポウルの中では一番美人だよ」と言い、「尤も、僕は同率で1位だけど」と付け加えることも忘れなかった。イレヱヌはくすくす笑った。セシルのわざと道化を気取った自己陶酔な所はセシルのチャームポイントだとイレヱヌは気に入っていた。一頻り笑った後、「そう?一人で本を読んだり映画を観たりすることの方が楽しそうだけど」とイレヱヌが疑問を溢すと 「そんなこと無いよ。自分の事を可愛い、綺麗って言って甘やかして愛してくれる人が居るって素敵じゃない?」そう言うと恍惚とした表情で笑いかけてきた。なるほど、とイレヱヌは理解った。セシルは自分の事を持て囃してくれる相手が欲しいのだ。恋人という自分を受け入れてくれる存在からの愛を受け取ることにセシルは悦びを感じているのだろう。 (セシルは寂しいのかな)イレヱヌはセシルの父アンソニー・マグワイアの名前を何処で聞いたのか思い出した。不倫の|不祥事《スキャンダ
サン=ポウル学院は瑞西のローザンヌの近くに存在する学院だった。建物は左右対称で赤レンガに白い装飾のあるエドワーディアン様式の外観で敷地は一つの町ほどもある。敷地内には孔球場や庭球試合場、しまいには映画館まで存在することには驚いた。 サン=ポウルの日常は基本的に規則正しい生活其の物だった。朝七時に生徒達は一斉に起床し、ビュッフェ形式の朝食を摂る。授業は一般教科の国語や数学の他、芸術、運動教科にも力を入れている。イレヱヌは運動教科では乗馬が好きだった。元々動物は大好きだったし、賢くて穏やかな馬はとても魅力的な生き物だった。サン=ポウルは自然豊かな環境に建てられているため、馬に乗って瑞々しい自然を眺めながら野原を駆けて風を切るのは堪らなく気持ちが良かった。草と土の匂いを感じるとプラザホテルに住んでいた頃、時々セントラルパークでジャンヌとピクニックをした事を思い出した。亜米利加に居る間にパパに馬をおねだりしてみるべきだった、とイレヱヌは少し後悔をする。因みに乗馬は好きだが馬球は苦手だった。マレットは想像よりも重くて直ぐに腕が疲れてしまうし、馬を間違えて叩いてしまいそうで怖かった。 一番好きな授業は芸術だった。オウケストラ、デッサン、彫刻、絵画。そして此処では大好きなバレエや演劇も授業で習えた。イレヱヌは授業以外の休日でも許可さえ貰えたら踊りの練習をし続けた。黒鳥のバリエイションの練習に熱中していたのに、何故か亜米利加の小学校で投げつけられた嗤い声が頭の中に響き渡る。此方を嘲笑う真っ黒な眼。まるで檻に入れられた動物を視るような眼だ。 (あんた達なんか)鏡には王子を誘惑しようとする妖艶な黒鳥ではなく、眼差しだけで射殺そうとする悪魔の娘が映っていた。 (あたしは、あんた達なんかの手には届かないところまで行ってやる)黒鳥の三十二回のフーチエを回りながら何度も何度も心の中で言い続けた。自分は二度とあんな奴等に敗けない。頭の中で泥で汚れ、ぼろぼろにされた雑誌が思い浮かぶ。(あんな惨めな思いは二度としない。あんな奴等入り込めない居場所を自分で作るんだ) 午前中は六つの一般科目を学び、休憩中にホットショコラを飲んだ後午後からは運動若しくは芸術科目を学ぶ。授業の後は個々で勉強をし、21~23時には就寝する。此れが毎
「イレヱヌ様、朝ですよ」 最大の苦痛が今日も容赦無く襲いかかる。使用人のスーザンが今日もイレヱヌを起こしにやって来た。扉のノックをした後スーザンは無遠慮な足取りでのっしのっしと象の如く足音を立てながら部屋に入ってくる。イレヱヌにとっての苦痛の一つだ。イレヱヌを苛立たせて怒らせる為に態とやっている、イレヱヌはそう感じ取った。「さあさあ、早く仕度をしてくださいまし。朝は忙しいのですからね」 そういって寝台卓子の上に水の入った手洗、柘榴と檸檬、蜂蜜の入った薔薇水、猪毛で出来たブラシ等を並べていく。 鈍鈍とした動きで顔を水で濡らし、橄欖油の使われたマルセイユ石鹸で顔を洗うと、ジャガアド織りのタオルで顔を拭きサンタ・マリア・ノヴェッラの薔薇水とアルガン油で保湿をする。その次に、スーザンはブラシでイレヱヌの髪を解かしていった。総てが終わるとイレヱヌは血の気の無い大理石の様な顔に赤みがほんのりと差して薔薇色の頬になり、うねりのある髪は艶のある金糸になった。憂鬱な気分は朝食を食べる気力さえ奪っていく。鈍鈍と椅子に座ると肉匙で白トリュフのスクランブルエッグを掬った。牛酪の濃厚な薫りが鼻を擽る。其のまま唇に運ばず持て余す。 (食べたくない) 堪らない憂鬱がイレヱヌを襲った。ぐにゃり、と身体を柳の枝の如くしならせる。イレヱヌは学校という牢獄に行かなければならない。「イレヱヌ様、早く朝食を済ませてくださいまし。急がなければ遅刻をしてしまいますよ。」 スーザンのキンキンとした声がイレヱヌの鼓膜を刺してくる。食堂にはイレヱヌのみのため、当然ながら他の声は聞こえない。ジャンヌの「I」と柔らかく触れてくる甘い声は聞こえてこなかった。鈍鈍と喉の奥まで流し込むが好物のスクランブルエッグがまるで泥の様に感じた。食事は結局金糸雀が啄む程度口にして終わらせた。イレヱヌはジャンヌがエドワアドと結婚して新居に引っ越してからはずっと憂鬱を味わった。 何しろイレヱヌは亜米利加に住んでいながら亜米利加という国を蔑んでおり、メンタリティは完全に仏蘭西人其の物だった。亜米利加は欧羅巴人からす
イレヱヌは金髪を靡かせながら馬に乗って駈歩させる。左右の拍子が非対称の三拍子で走る動きをしているため、軽く息が切れてきた。髪に太陽の陽が当たると、まるで稲穂の様な輝きを放つ。瑞西の瑞々しい自然を眺めながら野原を駆けて風を切るのは堪らなく気持ちが良い。そうしていると悩みが総て風に乗って心の外へと流れ出ていくのを感じる。しかし、勿論此の瞬間は永遠には続かないことを知っている。何れだけ気に入ろうと此処は自分にとって終の棲家に出来る場所ではない。 ブロードウェイ・シアターで今日も母は豊かな金髪を耀かせながら舞台に立っている。「オクラホマ!」のヒロインローリーを演じている姿をイレヱヌは凝と見つめていた。 (ママンは今日も一番きれい) 誰よりも美しい母ジャンヌはイレヱヌにとっては何よりの自慢だった。 女優である母ジャンヌ・スチュワアト(公には旧姓ジャンヌ・ゴーテンと名乗り続けた)とイレヱヌは、プラザホテルのヴェルサイユ宮殿をモティーフにした部屋で無造作に置かれたドレス、宝石、毛皮、そして噎せ返りそうなほどの芳香を放つ花々に囲まれながら生活をしていた。 イレヱヌが祖国である仏蘭西の土を踏んだのは戦後漸く経ってからだ。ジャンヌという女は自分の不利益になることへの嗅覚は優れていた。仏蘭西が第二次世界大戦に参戦することが決定されるや否や状国の未來は当分は見通しが暗いと見なし何の未練もなく祖国を後にしてしまった。プラザホテルで生活をする理由は身の回りの世話は昔から使用人や恋人に任せきりだったため、生活能力が無いことという自覚をしているからだ。私生活を守りたいという至極尤もな理由などその一つに過ぎない。イレヱヌが産まれる前も、産まれた後にも誰にも教えることなく一人で育てると決めたのもそのような明らかに必要なものが欠けているからこその決断だったのだろう。 「I」と微笑いかけられて抱き締められると何時もオォ・デュ・コロンと母の皮膚の匂いが交じった甘い馨りに恍惚した。 ジャンヌはイレヱヌを時々Iと呼んだ。 イレヱヌの碧眼は耀の加減によって紫色にも藍色にも見えること。極東では藍色は“ai”と呼ばれること。そして の







